前橋地方裁判所高崎支部 昭和44年(ワ)299号 判決 1976年5月24日
原告 蜂須和枝
<ほか四名>
右原告ら訴訟代理人弁護士 角田儀平治
同 角田義一
同 飯野春正
同 金井厚二
被告 株式会社信越食糧
右代表者清算人 佐藤光男
被告 永井三男
右被告ら訴訟代理人弁護士 江口保夫
同 宮田量司
同 本村俊学
同 古屋俊雄
右訴訟復代理人弁護士 宮澤俊樹
主文
一、被告らは各自、原告蜂須和枝に対し金二、〇三四、八九三円、同蜂須豊子、同蜂須茂雄、同蜂須英雄に対し各金一、一八九、九二八円、同蜂須美ちに対し金五〇〇、〇〇〇円、及び右各金額に対する昭和四三年九月一六日から各完済に至る迄年五分の割合による金銭を支払え。
二、原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三、訴訟費用は、原告蜂須美ちと被告らとの間では被告らの連帯負担とし、その余の各原告らと被告らとの間ではそれぞれこれを二分し、その一を各原告の負担、その余を被告らの連帯負担とする。
四、この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。
事実
(当事者の申立)
一、原告ら
(一) 被告らは各自、原告蜂須和枝に対し金四、二五九、二九〇円、同蜂須豊子、同蜂須茂雄、同蜂須英雄に対し各金二、六七二、八六〇円、同蜂須美ちに対し金五〇〇、〇〇〇円、及び右各金額に対する昭和四三年九月一五日から各完済に至る迄年五分の割合による金銭を支払え。
(二) 訴訟費用は被告らの負担とする。
(三) 右判決の仮執行宣言。
二、被告ら
原告らの請求をいずれも棄却する。
(当事者の主張)
第一、原告らの請求原因
一、事故の発生
(一) 被告永井三男は昭和四二年一〇月一六日午後五時三〇分頃高崎市大八木町六二二番地付近道路上において、同被告運転の貨物自動車を訴外亡蜂須好雄運転の貨物自動車に追突させ、その衝撃により同人に対し、頸椎捻挫傷(鞭打症)、左脊背部、前胸部挫傷等の傷害を負わせた。
(二) 好雄は右傷害につき、各専門医師による加療を受け、休業して鋭意療養に専念したが、少しもその効なく、快方に向わないばかりか、病勢は悪化の一途を辿り、頸椎部付近一帯が常時間断なく激痛を発し、手足はしびれ、それによる不眠状態の継続と合して反応性うつ病を併発し、絶望感、意欲減退、希死念慮等の精神症状を呈するに至り、昭和四三年八月二四日厩橋病院に入院したが、遂に同年九月一五日午後七時四〇分突発的に縊死してしまった。
好雄のうつ病の発生は本件交通事故による受傷が原因であるが、その症状が稍々軽快し、抑うつ状態が軽減し始めた時、突発的に自殺の行動に出ることは既に知られているところである。
よって本件の場合、事故の発生→うつ病の発現→死、の間には相当因果関係が有るものというべきである。
二、被告らの責任
(一) 被告会社は前記加害車輛を所有し、これを自己のため運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法三条により、好雄の蒙った損害を賠償する責任がある。
(二) 被告永井は被告会社に運転手として勤務する者であるが、右車輛を運転して好雄運転の自動車に追従して前記場所に至ったところ、先行車の動静に対する注視を欠き、適正な車間距離を保つことなく、漫然時速約四五キロメートルの高速度で進行した過失により、前記道路上に進出する他車に進路を譲って一時停止した好雄運転の前記自動車を約二、五メートルの直前に迫って認めた時はもはや避ける余裕なく、自車前部を右先行自動車の後部に激突させたものであり、民法七〇九条により好雄の蒙った損害を賠償する義務がある。
三、損害賠償請求権の承継
原告和枝は好雄の妻、同豊子、同茂雄、同英雄はいずれも好雄の子であるから、前記日時好雄の死亡したことにより、和枝は三分の一、その他の子らは各九分の二、の相続分を以て好雄の損害賠償請求権を相続した。
四、損害
(一) 好雄は日興電気工業株式会社群馬支店の技術員として電話線路工事の業務に従事し、原告五名を扶養して来たが、三人の子はいずれも幼少であり、好雄は一家の支柱であった。
(二) 好雄は本件事故発生から死亡に至る約一一ヶ月間前記のように各専門医師による治療を受けたがその効なく、悪化の一途を辿る病勢と闘い続けたが、昼夜の別なく常時襲って来る頸椎部付近の激痛と手足のしびれ、それによる不眠は、絶えず好雄を苦しみと不安の極に追い込み、生きて行く希望を失わせた。
(三) その間好雄の看護に当った原告らの心労も甚だしく、懸命の努力も空しく好雄は死亡し、一家の支柱を失った原告らの精神的苦痛は量り知れないものがある。
(四) 叙上の事情の下において、好雄及び原告らの蒙った損害額は、
1、好雄本人につき、別紙損害明細書(一)記載の積極的損害金三四五、六六九円、同明細書(二)記載の消極的損害金一一、六四六、六〇〇円、慰藉料金一、五〇〇、〇〇〇円、の計金一三、四九二、二六九円となるが、そのうち、自賠責保険金三、五〇〇、〇〇〇円、一部医療費に対する労災給付金一二四、九三〇円、被告の任意弁済(自賠責五〇万円を超える分)金八九、四六九円、の計金三、七一四、三九九円の支払を受けたので、これを控除すると金九、七七七、八七〇円となる。
2、原告和枝につき慰藉料金一、〇〇〇、〇〇〇円。
3、原告豊子、同茂雄、同英雄、同美ち(好雄の母)につき各金五〇〇、〇〇〇円。
五、仮に本件交通事故の発生と好雄の死亡との間に相当因果関係がないとすれば、好雄の消極的損害及び慰藉料の点につき、予備的に次のとおり主張する。すなわち、
(一) 仮に好雄が自殺しなかったとしても、同人の鞭打症状は極めて重く、反応性うつ病を併発するに至ったのであって、右鞭打症及び反応性うつ病が治癒しない限り労務に服することができないこと明かである。そして、経験的に重い鞭打症(自賠責後遺障害別等級表七級四号に該当する程度のもの)は七年ないし一〇年継続すると認められており、なお、その期間と以後半年ないし一年間は労務に服し得ないと考えられる。よって好雄は少なくとも昭和四九年一二月末日までは就労できなかったものと推定される。
好雄の勤務した日興電気工業株式会社群馬支店は、昭和四二年以後毎年従業員に対し、昇給、ベースアップを行って来ており、同社に勤務する好雄の同僚であった金井乙吉、村岡広吉、中島敏孝の賃金年額の推移を参考にして好雄の休業損害を推計すると、別紙消極的損害計算表のとおり金一一、七四九、四一五円となるが、そのうち金一一、六四六、六〇〇円を好雄の蒙った休業損害と主張する。
(二) 好雄は重い鞭打症となり、自殺に追い込まれる程の精神的苦痛を受け、又同人を看護した原告和枝、同美ちら家族の精神的苦痛も甚大であり、好雄の死亡の場合に準じた慰藉料が支払われるべきである。その額は好雄本人につき金一、五〇〇、〇〇〇円、原告和枝につき金一、〇〇〇、〇〇〇円、同豊子、同茂雄、同英雄、同美ちにつき各金五〇〇、〇〇〇円と主張する。
(三) なお好雄本人の損害金のうち受領した分の金額は前記四、(四)1、記載のとおりであるから、これを控除した残額も同じく金九、七七七、八七〇円である。
六、原告らの損害賠償請求額
以上の次第であるところ、原告美ちを除く他の原告らは前記三、の各相続分に従い前記四、(四)1、又は五、(三)の好雄本人の損害賠償請求権を承継した(その額は原告和枝が金三、二五九、二九〇円、同豊子、茂雄、英雄が各金二、一七二、八六〇円)ので、これに各自の慰藉料額を加えると、原告和枝の請求金額は四、二五九、二九〇円、同豊子、茂雄、英雄のそれは各金二、六七二、八六〇円、同美ちのそれは慰藉料金五〇〇、〇〇〇円となる。
よって原告らは被告らに対し、それぞれ右と同額の金銭と右各金額に対する好雄の死亡の日である昭和四三年九月一五日から各完済に至る迄年五分の割合による遅延損害金の各自支払を請求する。
第二、被告らの答弁
一、請求原因一、の事実中(一)は認める。
(二)の前段の事実のうち好雄が医師の加療を受けたこと、自殺したことは認めるが、その余は不知。
後段の、本件事故の発生と好雄の自殺との間に相当因果関係ありとの主張はこれを争う。すなわち、相当性ありとするには、被害者が事故により受けた苦痛や衝撃のため自殺することが予見可能であったことを必要とするが、本件においてはこのような状況は存在しなかった。
二、同二、(一)は否認する。
(二)のうち被告永井が好雄運転の自動車を発見した位置を争い、その余は認める。
三、同三、の事実は不知。
四、同四、の事実中
(一)は認める。
(二)、(三)は不知。
(四)のうち、1、の自賠責保険金の受領及び被告の弁済の事実は認め、その余は不知。2、3、の慰藉料額は争う。
五、同五、の主張につき、
(一)の前段の事実中鞭打症の程度は争う。後段の事実は不知。
(二)は不知。
(三)の損害額は不知。
六、同六、の事実中相続の点は不知、その余は争う。
(証拠)≪省略≫
理由
一、原告ら主張の日時、場所において、被告永井三男が運転する貨物自動車が亡蜂須好雄運転の貨物自動車に追突し、その衝撃により好雄に対し原告ら主張の如き傷害を負わせ、好雄は医師の治療を受けていたが回復せず、遂に自殺するに至ったことは当事者間に争いがない。
二、原告らは被告らに対し、好雄の死亡による損害賠償を求めるものであるが、被告らは、右事故による好雄の受傷と死亡との間の相当因果関係の存在を争い、死亡による損害の賠償義務なしと主張するので、先ずこの点について判断する。
(一) ≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。
好雄は前記日時場所において前記傷害を受けた後即日高崎市の関口整形外科医院で受診し、同院で約二ヶ月、更に前橋市の関口整形外科医院で約三ヶ月の治療を受けたが、首筋、胸部、背部の痛みが続くので、昭和四三年二月に四万温泉、沢渡温泉などに行き、同年三月一四日から同月二七日迄沢渡温泉病院に入院治療を受けたが、痛みは一向に軽快せず、薬のため口が荒れ、不眠も加わったので退院し、以後暫く自宅で安静にし療養に努めた。
その後好雄は同年四月一〇日群馬大学医学部付属病院神経精神科、同年五月一一日同病院整形外科で受診したが、交通外傷後頸腕症候群があり、そのため頸部、背部、上腕の筋肉痛ありと診断され、なお背部左側に軽度の腫脹があった。同月一七日になり首がひどく腫れたので、投薬を受けたり、永井接骨院でマッサージを受けたりして、首の腫れは消失したが痛みは取れず、又両上肢のしびれが出現、増強し、不眠勝ちとなった。そこで同月二一日高崎市の樋口整形外科医院医師の往診を受け、同年六月八日同医院に入院、治療を受けたが、首が腫れ、頸部が火傷の時のようにピリピリし、なお頸部から鎖骨にかけての重苦しい痛みを訴えるようになった。このように病状の改善がないので同月二〇日同医院を退院するに至った。その後同年七月一八日前橋市の小竹整形外科医院で受診し、鞭打損傷後遺症、精神神経症と診断され同日入院した。当時四肢痛、頸部痛、胸背筋痛及び腰痛を訴え、他人と話をしない嫌人傾向が見られた。この痛向は約一週間で軽快したが、夏の暑い季候であるのに寒いと云って長袖シャツやジャケツを着ていたが、発汗は甚だしかった。同月下旬から前記症状のほか首から胸部にかけての苦悶を訴えるようになり、種々の治療を行ったが症状に変化のないまま同月二七日退院した。
同日夜好雄は縊死を試みたが失敗し、七月二九日高崎市の内堀整形外科医院に入院し治療を受けたが効果なく、両上肢の灼熱感が加わり、不眠も持続して同年八月一七日頃から自殺を口走るようになり、同月二一日退院した。退院後も症状に変化なく、自殺の惧れもあり、同月二四日前橋市の厩橋病院(精神科)に入院した。当時好雄は、両上下肢のしびれ、両肩のこりと持続的な痛み、不眠等を訴え、絶望感、厭世感のため自殺念慮が見られ、反応性うつ病と診断された。
入院後好雄は抗うつ剤、睡眠剤の投与を受け、眠れるようになったが、熟睡感はなく、頭重感、右肩こりを訴えてはいたが、右上肢のしびれ、拍動感を訴えなくなり、同年九月一三日テレビを見るようになるなど、症状が改善され始めた矢先、同月一五日縊死してしまった。
(二) なお前掲証拠によれば、好雄の家系には精神病、精神薄弱、著明な性格異常等は見られず、好雄本人も極めて健康であって、職場での信望も厚く、家庭的経済的にも不安はなかったのである。
(三) 前記認定のように、好雄は交通事故による受傷後、長期に亘る加療にもかかわらず、前記各種の症状は改善されることなく、継続する苦痛不眠等も加わって、将来に対する絶望感から厭世感を抱くようになり、これらが誘因となって反応性うつ病となり、厩橋病院に入院するに至ったが、同院での治療によりうつ病は若干改善されていたけれども、将来に対する絶望感、厭世感、これによる自殺念慮はなお存続していたところ、抑うつ状態が軽減されるに伴い、自殺念慮の抑制も軽減され、突発的に縊死に走ったものであり、以上の経過によれば、前記症状の継続により反応性うつ病を併発し、うつ病が原因となって自殺することは決して異例の事態とは云い得ないのであって、本件交通事故による好雄の受傷と自殺との間に事実的因果関係あることは明白である。
(四) 被告らは、加害者たる被告永井には、被害者の自殺に対する予見可能性がなく、従って死亡による損害との間に相当因果関係が成立せず、その賠償責任はないと抗争する。
そこでこれを検討するに、従来の判例は、民法四一六条を不法行為による損害賠償の場合に類推適用し、特別の事情によって生じた損害については、その事情につき加害者の予見可能性を必要とするものであるが、多くの場合全く無関係な者の間で突発する不法行為にあっては、故意による場合はともかく、過失による場合には、予見可能性ということは殆んど問題とならないであろう。たとえば過失による自動車事故において、加害者が被害者の収入、家庭事情、受傷後の経過等を予見し得ることは殆んど不可能というべきであり、従って被害者が特別の事情によって生じた損害の賠償を求めることは至難とならざるを得ない。そこでこの不都合を回避するため、公平の見地から見て加害者が賠償するのが相当と認められる損害については、予見し得べからざる事情も予見可能であったと擬制するなど、予見可能性の範囲を事実上拡大することに苦慮するに至っているのである。そして理論的に考察するも、第一次損害の発生を防止できるならば、論理必然的に特別事情による後続損害の発生も防止できる筈であるから、かような損害を、特別事情の予見不可能を理由に、第一次損害の発生につき過失のある行為者に負担させないで、第一次損害の発生につき過失のない被害者に負担させる結果となるのを承認することは、公平の理念に反し妥当でないといわなければならない。そうすると、不法行為につき、予見可能性の有無によって賠償すべき損害の範囲を画しようとする相当因果関係論は、茲にその理論的破綻を示すに至っているといわざるを得ない。
以上の理由により、前記認定の事情の下に発生した好雄の縊死による損害については、これを事故による受傷と因果関係あるものとして把握し、これに対する賠償額の判断の段階において、過失相殺の法理を適用し、加害者の賠償すべき妥当な金額を評価することとする。
三、被告会社が加害車輛の所有者であり、同会社の運転手被告永井が被告会社のためこれを運転中本件事故を惹起したことは≪証拠省略≫により明かであり、被告永井の運転の態様については、同被告が好雄運転の自動車を発見した地点を除き争いなく、右発見の地点が原告ら主張のとおりであることは≪証拠省略≫により認められる。
そうすると、被告会社は自動車損害賠償保障法三条により、又被告永井は民法七〇九条により、各自右事故により好雄の蒙った損害を賠償する責任がある。
四、よって好雄及び原告らの蒙った損害の額について検討する。
(一) 原告ら主張の四、(一)の事実は被告らの認めるところである。そこで亡好雄及びその遺族である原告らの蒙った損害について考察する。
1、亡好雄本人の蒙った損害
(イ) 同人の蒙った積極的損害(医療費、看護料、移送費、雑費)の額が原告ら主張のとおりであることは、≪証拠省略≫によって認め得るので、好雄の蒙った積極的損害額は金三四五、六六九円となる。
(ロ) 好雄の蒙った消極的損害
(A) 休業による損失(昭和四二年一〇月一七日(事故の翌日)から昭和四三年九月一五日まで)
≪証拠省略≫によると、事故前三ヶ月の手取賃金は、昭和四二年七月金四八、六〇六円、八月金四六、七三四円、九月金四四、九六〇円であったことが認められるので、その計金一四〇、三〇〇円を三ヶ月の日数九二日で割ると一日の平均手取賃金額は金一、五二五円となるので、昭和四二年一〇月一七日(事故の翌日)から昭和四三年九月一五日(死亡の日)までの三三五日間の手取賃金の額は1,525円×335=510,875円となる。そのほか同年六月には少なくとも前年度を下らぬ額の夏季手当を受け得たと考えられるので、その手取額金六二、五三六円を加えると金五七三、四一一円となる。
(B) 死亡による得べかりし利益の喪失額
≪証拠省略≫によると、好雄は昭和一三年三月六日生れであることが認められるから、死亡当時は三〇才六ヶ月であった。そして≪証拠省略≫によれば、勤務先の停年は満六二才であることが認められるので、好雄はその後なお三一年間勤務し、給与を受け得たものと推認し得る。そこで以後の喪失利益の額を計算すると、別紙損害明細書(二)(2)記載のとおり金一〇、九九八、二一三円となる(将来の得べかりし利益については、昇給なども当然有り得ることが認められるので、税金等を控除することなく、収入の額をそのまま計算の基礎とした。なお、給与額、賞与額は≪証拠省略≫のとおり)。
しかしながら、好雄の死亡は事故を原因とするうつ病が誘引となったものとは云え、それは必然的に死を招来するものではないから、好雄が病苦に堪え得ずして自ら死を選んだという事情は、同人の死亡による喪失利益のうちどれだけの額を被告らに負担させるべきかを判断するについて斟酌されなければならない。そして諸般の事情を考慮し、被告らが賠償すべき金額は右のうち金四、四〇〇、〇〇〇円を相当と認める。
(C) よって好雄の消極的損害の合計は(A)+(B)=金四、九七三、四一一円となる。
(ハ) 前認定のように、好雄は事故による受傷の日から昭和四三年九月一五日死亡するまでの一一ヶ月の間、治療を重ねたにもかかわらず症状は少しも好転せずして病床に呻吟し、却って継続する苦痛と絶望感に苛まれてうつ病となり、遂に自ら死の途を選んだのであって、かような精神的苦痛を慰藉するには金一五〇万円を相当と認める。
(ニ) そうすると、好雄本人の蒙った損害の額は右(イ)(ロ)(ハ)の合計金六、八一九、〇八〇円となるが、そのうち自賠責保険金三、五〇〇、〇〇〇円、一部医療費に対する労災給付金一二四、九三〇円、被告の任意弁済金八九、四六九円、の計金三、七一四、三九九円の支払を受けたことは原告らの自認するところであるから、これを控除すると、残額は金三、一〇四、六八一円となる。
2、遺族である原告らの蒙った損害
前記認定の諸事情の下において、亡好雄の遺族たる原告らの蒙った精神的苦痛は甚大であって、正にこれを慰藉されるに足るものと認められる。そして前判示の如く、好雄は本件交通事故により死亡したものと認められるから、原告らは民法七一一条により慰藉料請求権がある。
(イ) 前認定の事情の下において、好雄の妻であった和枝(≪証拠省略≫により認められる)が、好雄が病床に呻吟する間殆んどその看護に当り、その効なくして死亡したことにより蒙った精神的苦痛に対する慰藉料は、好雄の死が自殺であることを斟酌しても、なお金一、〇〇〇、〇〇〇円を相当と認める。
(ロ) ≪証拠省略≫によれば、原告豊子、同茂雄、同英雄が亡好雄の子であることが認められるので、その慰藉料は各金五〇〇、〇〇〇円が相当である。
(ハ) 原告美ちが亡好雄の母であることは≪証拠省略≫により明らかであって、好雄の死亡により蒙った精神的苦痛に対する慰藉料は金五〇〇、〇〇〇円が相当である。
3、ところで原告和枝の相続分は三分の一、子らの相続分は各九分の二であるから、その割合に従って亡好雄の前記損害賠償請求権を相続したのであって、その金額は、原告和枝が金一、〇三四、八九三円、同豊子、同茂雄、同英雄が各金六八九、九二八円となる。
五、よって原告らが被告らに対し賠償請求し得る金額は、原告和枝が金二、〇三四、八九三円、同豊子、同茂雄、同英雄が各金一、一八九、九二八円、同美ちが金五〇〇、〇〇〇円となる。
次に原告らは、被告らの右各金銭支払義務履行遅滞による損害金支払の起算日を、好雄死亡当日の昭和四三年九月一五日と主張しているが、民法一四〇条の規定の趣旨に従い、これはその翌日から起算すべきものである。
よって原告らの被告らに対する本訴請求は、右各金銭と各金額に対する昭和四三年九月一六日から各完済に至るまで年五分の法定利率による遅延損害金の各自支払を求める部分に限り正当として認容し、その余は失当であるからいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 小西高秀)
<以下省略>